4月16日(日)復活節第2主日

「一人一人の名を呼ばれる主」
 召天者の記念の日を覚えています。この教会から天に召された方々の名簿を見ていますと、大きなつながりに支えられて、今のわたしたちがあるのだな、と思います。お一人お一人のお名前は、この佐原教会が神さまの導きに支えられてきた証しであり、またお一人お一人の生きざまが、この教会を支えてきてくださったことを表しています。その礎の上に今のわたしたちがある。わたしたちは、この一人一人の上に働いた主の御業を共に受け継いでいる者たちです。時に挫けそうになることもあるかもしれません。けれど、わたしたちを導かれる神さまは、イエス・キリストを復活させられた神さまです。どのように望みがないと思われる時でも、神さまの命の力は働いています。今日はその希望をご一緒に確認していけたらと願っています。
 ヨハネ福音書の復活の記事からお読みいただきました。復活のイエスさまとマグダラのマリアとの出会いが、非常に印象深く語られています。朝早く、イエスさまの墓に詣でたマリア。墓から石が取り除けてあり、その中にイエスさまの遺体がないのを見て、混乱します。マグダラのマリアは、イエスさまと深く結びついていました。深い信頼関係で結ばれていました。彼女は、十字架に際して、イエスの母と他の女性たちと共に、十字架の側に立っていたとヨハネ福音書は報告しています(19章25節)。それだけ、彼女は、イエスさまの死に強く結びついてしまったということができます。
 イエスさまは死んでしまった――その死に殉じて生きていこうとでも言うように、彼女は墓に詣でたのです。そこには、イエスさまを単なる犯罪者として葬り去る事に対する彼女なりの抵抗があり、イエスさまは神さまの御子、愛の人だったと記憶していこうとする、彼女なりの深い信仰/信頼があったと考えます。
 その記憶のよすがとなるイエスさまの遺体が失われてしまった。彼女はその場所で泣き続けました。見ると、墓の中には二人の天使がいます。天使たちを見ても、不思議な神さまからの使いが来ても、彼女の涙は止まりません。「なぜ泣いているのか」との問いかけにも、驚きも恐れもせずに、普通の人間に対するかのように答えます。「誰かが私の主を取り去りました」と率直に悲しみを訴える。
 悲しみの涙は彼女の眼を曇らせます。イエスさまが実際に来てくださっても、それと気付かず、園の番人と思い込んで、彼を非難します。「あなたがあの方を運び去ったのか!」 そうすると、イエスさまは一言、「マリア」、と彼女に呼びかけられた。それで彼女は自分を取り戻したのです。
 「マリア」――彼女自身を表す、かけがえのない名前。
 名前には不思議な力があります。名前がわからないと、その人の存在があやふやな感じになります。お互いに名乗り合って、初めて関係性を築くことができます。
 イエスさまは、ここで、私はあなたをよく知っているよ、あなたの名前を知らない「園の番人」ではないよ、とマリアに知らせたかったのではないでしょうか。そのあなたをよく知っている私は、ここにいる、生きているよ、と。
 マリアはそれによって、死の淵から蘇りました。イエスさまの死に繋がるのではなく、イエスさまの新しい命に繋がり、生きていくことへと呼び戻されたのです。同じように、イエスさまは、今も私たち一人一人の名前を呼んでくださっています。それはわたしたちを、暗闇から呼び出すためです。イエスさまと共に新しい命によみがえり、共に神さまの御許へ向かうためです。
 今日覚えております方々お一人お一人が、そのことを証ししてくださっています。この方々はもはや、暗闇の中にはおられない。お一人お一人、名前を呼ばれて、召されて神さまと共に生きておられます。そして今日もわたしたちと共に神さまを賛美しています。
 エレミヤ書31章から合わせてお読みいただきました。慰めの書と呼ばれる、エレミヤ書30章~33章の中の一節です。この預言は、都エルサレムが巨大な帝国によって滅ぼされた時に語られたと考えられています。どのような絶望の闇も、そこで終わらない。むしろそこから、活かされる、甦らされる。神さまの偉大な御業を証ししている個所です。
 今朝はこの後、讃美歌の575番を賛美いたします。『讃美歌21』が出されてから25年経ちましたが、その中でも愛されてきた讃美歌です。冬から春へ、死から命へ、神さまの不思議な、大きな御業について歌う讃美歌です。現代の賛美歌作家・ナタリー・スリースによって作られました。この讃美歌には、作者のナタリーによって、「約束の賛歌」というタイトルがつけられています。この讃美歌が造られた時、彼女の夫、牧師でもあったロナルドが、がんに犯されて余命宣告を受けていた、そんな状況だったそうです。ロナルドはこの讃美歌をとても喜び、自分の葬儀の時に歌うように、言い残したということです。
「命の終わりは命のはじめ、恐れは信仰に、死は復活に」そうわたしたちには約束されている。その約束にわたしたちは生き、死んでいく。その「約束」の神秘をこの歌は歌います
 その約束が成就される時、「ただ神が知る」とも歌われます。神さまが世界の全てを知っておられる。その神さまがわたしたちを愛し、豊かな慈しみを注いでくださっているのです。その神さまがわたしたち一人一人の名を呼び、新しい命へと導いてくださっているのです。
 今日この時、召天者の方々を覚え、この神さまの約束を思い起こすことができたことを感謝します。難しい課題があり、悲しみの多いこの世界にあって、神さまが希望へと導いてくださっていることを信じて、共に歩んでいきたいと願います。