5月28日(日)聖霊降臨日・ペンテコステ礼拝

教会玄関のアマリリス 
ペンテコステの日に最初の花が開きました。

5月28日礼拝メッセージ 「聖霊の『力』を受けて」 三吉小祈牧師
聖書:創世記11章1~9節;使徒言行録2章1~11節

 聖霊降臨日・ペンテコステの日を迎えました。エルサレムで祈りつつ待っていた弟子たち。その弟子たちの上に、突然の激しい風の音と共に、力強く聖霊が降った。そうして弟子たちは神さまの力を豊かに受けて、御言葉を伝える業を始めて行った。そのように使徒言行録は告げています。
目には見えない「聖霊」、神さまの力。わたしたちにはなかなか理解しがたい「力」ではありますが、確かに、今も働いているものです。その「聖霊の力」がどのようなものなのか、今日はご一緒に考えていきたい。
 ある牧師は、聖霊のことを語る時に、あえて「イエスの霊」と語るようにしているといいます。「霊は力、人格を伴わない『力』は暴力につながるから」というのがその理由です。彼女は「人格を伴わない『力』とは『核兵器』だ」と言い切りました。突拍子もない発言にも聞こえますが、大事な指摘です。
 「力」(ギリシア語でデュナミス)とは、聖書では奇跡を起こす力、通常では考えられないことを起こす力を意味します。神さま、イエスさまの力はもちろんのこと、悪霊たちもそのようなことを起こす力を持ちます。そういう意味でいうと、「核兵器」も同じです。広島に落とされた原子爆弾は、たった一発で14万人もの人を殺しました。生き残った人々をも、放射能によって何十年も苦しめている。信じられないような「悪魔の力」です。
 その『力』を無くすために、広島・長崎をはじめとする全世界の被ばく者たちは、核の廃絶を訴えてきました。その結実が2021年に発効された「核兵器禁止条約」です。「核兵器禁止条約」は、政府機関ではなく、市民の活動から生まれた条約です。被ばく者に出会った市民たちが言葉を寄せ合い、力を寄せ合い、条約発効へとこぎ付けた、宝のような条約です。ここに神さまのみ旨が働いたと信じます。こうした人と人とをつなぐ『力』をこそ、「聖霊の力」と呼びたい。

ペンテコステ礼拝 礼拝堂のお花

 創世記11章からお読みいただきました。「全地は、一つの言語、同じ言葉であった。」(1節)、一見すると素晴らしい世界のように思いますが、実際の所どうでしょうか。「シンアルの地」に建てられたバベル。10章8~10節によれば、勇士ニムロドが建てた王国であったようです。そこから他の地にまで行って、「帝国」を作った。もしかしたら「一つの言語」というのは、戦時中の大日本帝国が行ったように、自分たちの言葉を強制したのかもしれない。それを神さまは良しとされず、塔を建てる人々を混乱させ、言葉をばらばらにされた。「一つの言語、同じ言葉」に統一することは、神さまのみ旨ではないのです。
 言葉が統一されていないことは、確かに混乱をもたらします。けれど、だからといって抑えつけが必要なのでしょうか。統一が必要なのでしょうか。そのような形での「統一」は、語っちゃいけない言葉/語っていい言葉の理不尽な差別につながるのではないのか。神さまはその「抑えつけ」「差別」から、人を解放しようとしてくださる方です。
聖霊は、イエスさまの霊は、炎の舌となって、弟子たちに降り、「様々な言葉」を語らせました。聴いた人々は「あっけにとられた」と書かれています。「あっけにとられた」はギリシア語を直訳すると「混乱した」。いろいろ混ぜっ返させられて、何が何だか分からない状態になったことを表しています。しかし、それでも、それぞれの言葉で理解したのです。一つの言葉ではない、それぞれ、一人一人の言葉で理解することが赦されたのです。何をか。「神の偉大な業」を。
使徒言行録2章9~10節の地域名のリストが挙げられています。当時の地中海世界東部の地域の、ほとんどすべてを網羅している。ほとんどがローマ帝国の領土内。パルティア、メディア、エラムがローマの範疇外。当時は、反対のスペインと並んで、世界の果てと思われていた場所です。2000年前の世界観からすれば、全世界を示すリストです。
聖霊は、この世界中の人々に、それぞれの言葉で、神さまの言葉をイエスさまの思いを伝える力だということです。それは、決してユダヤの範疇に留まらない、ということ。ローマ帝国の範疇すら超えていく力なんだと伝えられているのです。
その神さまの言葉、力とは、イエスさまを通して示された神さまの愛、神さまの平和。核兵器、とは、真反対の力。多くの人を殺し、多くの人を何十年も苦しめる力とは、まったく別の力です。
聖霊は命を活かす力です。そして永遠に続く力です。それを可能にするのが、イエスさまがこの地上で示してくださった、神さまの豊かな愛です。その力が、世界中のすべての人に示されたと、与えられた、と告げるのが、このペンテコステの物語です。
わたしたちにもこの聖霊の豊かな力が与えられています。わたしたちは自らを滅ぼす恐ろしい核兵器を持ってしまいました。しかしその悪魔のような核兵器を実現することができたのなら、その逆だって可能なはずなんです。わたしたちはどこまでも、神さまの愛と平和とを拡げていけるはずです。それは核兵器以上の力を持っています。その何よりも強い力が聖霊の力です。その聖霊を豊かに受けて、この困難な時代を進んでいこう。